今治城は、慶長7年(1602年)に武将・藤堂高虎が今治港に面した地に築いた水城で、高松城・中津城とともに「日本三大水城」のひとつに数えられます。海水を引き込んだ広大な堀が特徴で、往時は城に直接船が入れる構造でした。昭和55年に復元された天守閣からは、瀬戸内海の多島美を一望できます。
GUIDE
今治城の見どころ・歩き方
写真と一緒に、回り方のコツをまとめました
今治城とは——海水を引き込んだ日本三大水城
しまなみ海道の愛媛側の玄関口・今治市に、瀬戸内海に面してそびえる今治城(いまばりじょう)。慶長7年(1602年)に築城名手として名高い武将・藤堂高虎によって建てられたこの城は、高松城・中津城とならんで「日本三大水城」のひとつに数えられています。
水城とは、海や湖・川の水を城の防御に直接活用した城郭のことです。今治城は今治港に隣接した立地を最大限に活かし、海水を城の堀に引き込む構造を持ちます。かつては船が堀に直接入れるほど海と城が一体化していたとされており、海上交通を制することで城の防御と物流の両方を確保していました。


村上海賊ゆかりの地
今治城が建てられる以前、この地を海から治めていたのが村上海族(村上水軍)です。瀬戸内海を縦横に行き来した彼らは「日本最大の海賊」とも称され、芸予諸島を拠点に海上交通を掌握していました。藤堂高虎はこの地に城を築くことで、村上海族が持っていた海の制権を引き継ぐ形で今治の地を押さえたとも言われています。今治城跡は、村上海賊KAIZOKUの構成文化財のひとつにもなっています。

堀に泳ぐ魚たち
今治城の堀は海とつながっており、潮の満ち引きによって海水と淡水が混ざる汽水域になっています。そのため堀にはスズキ・クロダイ・ヒラメといった海水魚のほか、ミナミメダカなどの淡水魚も生息するという全国的にも珍しい環境です。堀沿いを歩きながら水面をのぞいてみると、思わぬ大物に出会えることも。


今治城の沿革——築城から復元まで
今治城は慶長7年(1602年)、藤堂高虎によって築城が開始されました。今治港に面した低地に海水を引き込んだ堀を設け、わずか数年で城郭の骨格を完成させたとされています。高虎はその後、伊勢国津藩へ転封となり、今治城はその後を継いだ松平(久松)氏が幕末まで城主として治めました。
江戸時代を通じて今治藩の政治・軍事の中心として機能した今治城ですが、明治維新後の廃城令(明治6年・1873年)によって建造物の多くが取り壊されました。天守をはじめとした主要な建物が失われ、長らく石垣と堀だけが往時の姿をとどめていました。
現在の天守閣は昭和55年(1980年)に鉄筋コンクリートで復元されたものです。続いて平成19年(2007年)には鉄御門(くろがねごもん)が木造で復元され、城の入口まわりの景観が大きく整備されました。現在も石垣・堀などの遺構保存と整備が継続されており、往時の城郭の全容を取り戻す取り組みが続いています。

藤堂高虎——築城の名手が残した遺構
今治城を語る上で外せない人物が、藤堂高虎(1556〜1630年)です。高虎は豊臣秀吉・徳川家康に仕えた武将で、宇和島城・篠山城・津城など各地で数々の城を手がけたことから「築城の名手」と称されています。
今治城は高虎が伊予(現在の愛媛県)を治めた際に築いた居城であり、平城(平地に建つ城)の中でも特に水を活用した縄張り(城の設計)が評価されています。現在も残る石垣や堀の構造に、高虎の築城技術の合理性と先進性を見ることができます。


天守閣——各所から楽しむ外観
現在の天守閣は昭和55年(1980年)に復元されたもので、地上5層の構造です。本丸広場や吹揚神社の境内、正面アプローチなど、見る場所によって表情が変わります。青空と雲を背景にした白亜の天守は、どの角度からも絵になります。内部には今治城の歴史・藤堂高虎の生涯・甲冑や武具の展示があり(有料)、天守最上層からは瀬戸内海を一望できます。





鉄御門(くろがねごもん)と石垣
天守閣とともに見どころとなっているのが、平成19年(2007年)に復元された鉄御門(くろがねごもん)です。堀を渡る橋を越えて城に入るための門で、復元された木造門とその前後の石垣・枡形(ますがた)が往時の城の入り口の雰囲気を伝えています。

石垣は江戸時代初期に積まれたものが現存しており、野面積み(のずらづみ)と切込接(きりこみはぎ)の技法が混在しています。積み方を観察すると、築城当初の急ぎの工事と後世の修理・改修の跡が見えてきます。特に注目したいのが「勘兵衛石」です。石垣に組み込まれた特別大きな自然石で、説明板とともに現地で確認できます。



鉄御門は黒塗りの重厚な門構えが特徴で、くぐった先には枡形(ますがた)と呼ばれる四角い空間が広がります。攻め入った敵を三方から囲む防御構造で、当時の築城技術の巧みさが伝わります。

城内の神社——吹揚神社と吹揚稲荷
今治城の本丸跡には、藤堂高虎をはじめ天照大神・八幡大神・久松定房を祀る、吹揚神社(ふきあげじんじゃ)が鎮座しています。今治市内に点在していた神社が明治以降に合祀された社で、城とともに今治の歴史を見守ってきた存在です。例祭日は5月第二土曜日。



吹揚神社は、今治城の本丸跡に鎮座する神社です。御祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)・八幡大神(はちまんおおかみ)・藤堂高虎(とうどうたかとら)・久松定房(ひさまつさだふさ) の四柱。藩政時代より今治城内に祀られ、城下の人々に親しまれてきました。
明治33年(1900年)には今治市内に点在していた複数の社が合祀され、現在の形に整えられました。昭和33年に起きた火災で社殿を焼失しますが、昭和58年に氏子・崇敬者の手によって復興。現在の緑青の屋根を持つ拝殿と朱塗りの本殿が再建されました。
鳥居をくぐり石段を上がると、重厚な楼門(拝殿)が出迎えます。その奥に広がる朱塗りの本殿は、城の白と黒のモノトーンとは対照的な鮮やかな色彩で、訪れる人の目を引きます。境内には吹揚稲荷神社も祀られており、連なる朱鳥居のトンネルも見どころのひとつです。今治城を訪れた際には、ぜひ立ち寄ってみてください。


吹揚稲荷神社——境内に連なる朱鳥居
吹揚神社の境内には、吹揚稲荷神社が合祀されています。稲荷神社といえば伏見稲荷に代表される連なる朱鳥居が特徴ですが、こちらも城内とは思えないほど鮮やかな朱鳥居のトンネルが整備されています。鳥居をくぐり抜けた先には朱塗りの小社殿と狐の石像が並び、城の白と黒の世界とはまた違った空間が広がります。参拝後に振り返ると、鳥居のトンネル越しに吹揚神社の社殿が望め、独特の奥行きある景色を楽しめます。



しまなみ海道の旅との組み合わせ
今治城はしまなみ海道の四国側の起点・今治市の中心部に位置しており、しまなみを自転車や車で渡り終えた後の立ち寄り先として自然な動線上にあります。サンライズ糸山(今治側のサイクリングターミナル)からは自転車で約20分。来島海峡大橋を渡りきった達成感を胸に、歴史ある城まで足を延ばすルートは多くのサイクリストに親しまれています。
JR今治駅からも徒歩約12分で、電車でアクセスする場合も便利です。今治市内には今治タオルのショップや、今治名物の焼豚玉子飯を出す食堂も点在しており、今治城とあわせて半日から1日かけてゆっくり回るのがおすすめです。
訪問のポイント
- 外堀・石垣エリアは無料で散策できます。天守閣に入らなくても、堀越しの石垣・多聞櫓・鉄御門まわりを歩くだけで十分見応えがあります
- 天守閣は有料(大人520円・高校生260円・中学生以下無料/2024年時点)。内部には甲冑・武具の展示があり、最上層からは瀬戸内海を一望できます
- 月曜定休(月曜が祝日の場合は翌日休)。外堀エリアは利用可能ですが、天守閣・鉄御門内部には入れません
- 吹揚神社・吹揚稲荷は参拝無料。城内散策のついでに立ち寄れます
- 駐車場あり(城の南側)。訪問前に最新の開館情報をご確認ください
基本情報
フォトギャラリー
写真をタップすると拡大表示できます(左右スワイプ / ←→キー対応)。
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